私は好きな生き物が何種類かいる。
まず猫。飼ったことはないのだが、祖母の家の庭にたびたび鮭を貰いに来ていてその光景を眺めていたのがきっかけだろうか。
鮭を貰う前の物欲しそうな目つき。まるで誘惑されているような気分になった。いざ鮭を貰ったら一心不乱にかぶりつくその姿。
幼心にして「現金な奴だな」と思ったとか思わないとか。そのあたりはのことはもう覚えていない。
次に魚。中でも鯉や金魚など体が赤いのが好きだ。実家の庭には池があり鯉が泳いでいたし、小学生の時にお祭りの
屋台で釣った金魚を大事に育てた。
屋台で釣った金魚はすぐ死んでしまうという通説があるが、私が釣り上げてきた金魚は違った。まるまる6年も生きた。私が中学生にあがった夏に死んでしまった。
ちなみに名前はタマ。猫好きが嵩じてか、そんな名前になった。
喜んでエサをたくさんあげていたので、最初は親指ぐらいの大きさだったのに、最終的に握り拳ほどの大きさまで成長した。
タマは成長しすぎて重くなったのか死んでしまっても水槽の底に佇んでいた。最初は寝ているだけだと思ったのだが、エサを食べてないことに気付き、ようやく死んでることに気づいた。
水槽の掃除をサボったりする時もあったが、わりと気にかけて育てていたのでその時はショックだった。以降生き物を飼うことはしていない。
最後に蛙。これも小学生の頃の話になるのだが、長野の親戚の家に遊びに行った時のことだ。その親戚の庭には蛙がいっぱいいた。
どこから湧いてきたのかわからないけど、とにかく数十匹単位で群れを形成していると言っていいぐらいにたくさんいた。
小雨の降りしきる中、その蛙の群れと一緒になって遊んだ。夏休みだったので、何日か親戚の家に泊まっている間ずっとだ。
植物とは違うあの独特のライムグリーンが私の心の琴線に触れていたのだと思う。
そこから9年の時を経て、私は大好きなライムグリーンの蛙と再会することになったのだ。
私のパチスロ初打ちはキングパルサー(以下、キンパル)である。訳のわからないまま、連れられた先輩に「ここにカエルが3回連続で出てきたら呼べ」と言われ、リール上部のドット液晶に目を釘付けにしていた。
バイト帰りに先輩と共にパチンコ屋さんへ行き前述した先輩の言いつけを守りながら、先輩から渡された千円札の束を汗びっしょりになるまで握りしめ、息を飲みながらレバーを叩いたのが初打ちだった。
一度当たると、先輩と代わりその間にメダルの箱を取りに行ったりジュースを買いに行ったり…。帰りに定食屋で晩飯を食べながら数千円貰うという日々が一、二週間ぐらい続いた。
今こうして書いてみると情けないようだが、これが私のパチスロデビューだ。
体の良いパシリであり代打ちだった感は否めないが、この状況を劇的に変化させる出来事があった。
後から聞いて理解したのだが、当時パチンコ屋のイベントで『1週間ローテーションで3台並びの56投入』というイベントをやっていたらしい。
イベントの朝、先輩はアラジンか何かに走っていった。私はキンパルしかわからなかった(と言ってもキンパルさえも良くわからない状態)のでとりあえず空いていたキンパルに着席した。
打ち始めてからすぐドットがざわざわし、当たる当たる。メダル一箱さら盛りと下皿ぐらいになった時にいつもと様子が違うと思い先輩を呼びに行った。※この頃には拙いながらも当たったらボーナスの図柄ぐらいは目押し出来るようになっていた。
「先輩、今日なんか当たるっす」「ちょっとかわれ」こんなやりとりがあり結果的に私が打っていたキンパルは6で、両隣のキンパルは5だった(らしい)。
初めての朝イチで座った台が設定6というビギナーズラックを発揮し、途中で空いた隣のキンパルを抑えて先輩と2人並んでいっぱい出した。
たしか、18万円ぐらい換金していたのを覚えている。この日はなんと勝ち分の半分もらった。
この日を機に設定の概念を教えてもらい、キンパルで言えばどういう台が設定が高いかを教えてもらった。あとは並んで打っていたのでボーナス中のリプレイ外しも教えてもらった。
これが原点。当時たまたま開催された3台並びの56投入イベントがなかったら、今ここでブログを書いている私はいないかもしれない。
と、思い出話が長くなったのでキングパルサーという台の話をしようと思う。
キンパルはRTテーブルの振り分けにより意図的に出玉の波を作り出しているストック機だ。ゲーム数解除、と言いかえれば最近始めたスロッターにも分かってもらえると思う。
ストック有時のRTテーブルの振り分けがなんと7割ぐらいで128ゲームまでにボーナス放出。設定6だと9割近く128までで放出だったはず。
BIGは400枚弱、REGでも150枚ぐらい(確か)のメダルが出てくる。これがストックが有る限りこの振り分けで当たるものだから、すごい勢いでメダルが増えていくのだ。
天井は1280ゲーム。6だとたしかもうちょい早かった気がする、1024だっけかな。
これだけ読んだらああハマってる台見つけて当てて128でやめればいいじゃん、と最近のハイエナ事情に詳しい方なら察しがつくかもしれないが、そんな簡単でもない。
キンパルはストック機であり突出した連チャン性能を持っている。ときたら起こることは1つ。そう、ストック切れだ。
1280ゲームの天井はあくまでストックがある時であり、ストックがなければ1280なんてどこ吹く風で何事もなかったかのように越えていく。
内部ストックがない時はストック成立時から数えて最大1280ゲームでボーナス放出である。極端な話を言えば、1280ゲームでボーナスをストックしRTテーブルが1280を選ぶことだってある。
つまり当たるのは2160ゲームである。まぁこんなことは無いと思うけど、実際1500~1600ハマリなんてのは度々見かけた。
しかもそこまでハメてしまっては、途中でボーナスをさらにストックしている可能性さえある。一度連チャンが始まれば強烈な連チャンが待ってるが為に当たるまで打たざるを得ないのだ。
引くに引けなくなり、後ろを横切るハイエナの視線に耐えながら淡々サンドに金を突っ込みレバーを叩く。
千円札が切れ、万札を両替に席を立とうものなら島の端で見ていたハイエナ野郎がもの凄い勢いで走ってくる。(昔は万札がサンドに対応しておらず千円札に両替しに行く必要があった)
こんな光景はキンパルの島では日常茶飯事……、でもないが時折見られたもので非常に懐かしく思える。
※余談だが意気込んで3万円分ぐらい千円札に替えたりする時に限って、すぐ当たって財布がパンパンになって煩わしくなったりもしたので私は1万円分ずつ替えていた。
さて。このキンパルの凄いところは、様々な立ち回りが出来たところだ。
リセットからのモーニング狙い、ゾーン狙い、天井狙い、設定狙い、ストック狙い、と。ストックを持ってさえいれば設定1でも機械割100%を越えていた(確か)ので、台の知識と店の状況がわかっていれば誰でも勝てる台だった。
それに加え、BIGを4回ぐらい消化すればBIG中の小役確率から設定4以下とそれ以上の区別がおおよそだがついたので、モーニングで連チャンさせてそのまま設定狙いに移行、というのが当時の私の立ち回りの1つの柱だった。
さらに閉店チェックの重要さを知ったのはこのキンパルだった。実際これをするかしないかで収支のケタが1つ変わると言っても過言ではないぐらいキンパルで立ちまわる為には閉店チェックが重要だった。
当時は今よりもスロ人口が多かったし、爺さん婆さんも平気でAT機やストック機の島に踏み込んでいた。キンパルなんかはカエルが連続で出てきたら熱い、という明快なゲーム性だったのでお年寄りにも人気があった。
そのため閉店チェックを忘れた次の日にデータカウンタとにらめっこしながら、残りのストック個数を計算していたりすると、フラッときた爺さんにまだ計算してない台に座られそっから大連チャン!
昨日閉店チェックしておけば……、なんて思わされることも何回かあった。
思い出と言えば、私がキンパルを打っていて地味に好きなところがある。それは97~128ゲームの間だ。
設定1でハイエナした時の話をしよう。128までに7割放出とあるが、そのうちの9割ぐらいは96ゲームまでに放出してしまっている。要するに期待度が低いのだ。
天井狙いで天井を突き抜け、やっと当てるも96ゲームをあっさり越えて絶望に打ちひしがれる。当時のキンパル打ちなら一度は体験しているであろう局面である。
100ゲームぐらいでカエルが一旦横切るものの後が続かず。もうダメか、と思った矢先の115ゲームでドットに7匹ガエル。次ゲームも7匹カエル。
お願いします、と祈りながらもう1回レバーを叩くと7匹ガエル登場の予告音。もうここで興奮は最高潮。息を止めて次ゲームのレバー。ドットにカエルが横切ったりして、もう脳みそから足の指先までしびれまくり!
(ドット液晶にカエルが3連続登場で熱い、4連続で激アツ、5連続でボーナス確定、になってます)
4連続だとまれにハズレたりするんだけどね。カエルが出てきた後はついついレバーに力が入っていました。とても懐かしい。
今思い返せばキンパルはスロットでご飯食べていく上で教科書のような存在。色々なことを学ばせてもらった。
うーん、やはりキンパルあってこそ今の自分がある。これは決して過言なんかじゃないな。
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